江戸の儒学者 その二

菊地五山頼三樹三郎亀田鵬斎梁川星巖

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巻 菱 湖

 

半切

1776〜1843 天保14年没 67歳

別号は弘斎。江戸末期の名筆家。越後に生まれ、19歳の時江戸に出て、亀田鵬斎について一家を成した。貫名海屋、市河米庵とともに幕末の三筆とされた。

 

萬里行人至

深閨夜不眠

雙眉燈下掃

不待鏡台前

     菱翁

 

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菊 池 五 山
 

安政2年没 84歳

名は桐孫、字は無絃(弦)、別号を娯庵、小釣堂。讃岐の人、江戸生。市川寛斎の門。高松藩儒。

 

孟浩然詩

倉皇王拝一床閑

明主恩深儘放還

北闕上書焚艸罷

猶将@筆向南山

 

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頼 三樹三郎

聯落

1825〜1859年 安政6年没 34歳

江戸時代末期の勤王家。山陽の第三子。詩文に長じ、梁川星巖、梅田雲浜ら多くの志士と交わり、吉田松陰、橋本佐内らとともに小塚原の露と消えた。

 

七絶幅

路帯溪聲去百回

登々雲樹掩崔魂

天風捲袂巉巖破

涌出湖山脚底来

       三樹酔客

 

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亀 田 鵬 斎

 

1752〜1826年 文政9年没 74歳

儒者。名は長興、字は穉龍。別号を鵬齋または善身堂と号した。長じて井上金峨に学び、20歳にして業を市中に開いた。文化の初めより下谷金杉に住し、同所に没した。詩文を善くし、書に巧、酒を嗜んで『金杉の酔先生』とも呼ばれていた。

扇面

無塵即是僊

たゞまなべまなべばなどかならざらん

ひと百たびならばわれは千たびせん

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梁 川 星 巖

1789〜1858年 安政5年没 70歳

詩人。初の名は卯、字は伯免。のち孟緯、字を公圖と改める。美濃安八郡曽根村の人。業を古賀精里、山本北山等に受けた。四方に優遊して、詩思を練ること20年、天保5年江戸に帰り、玉池吟社を開いた。名声一時に鳴り、門生が大いに集まった。

飄揺風影倩誰扶

香露彈人細欲無

絶似開元何満子

盈眸愁涙併珍珠

    同子成観荷花於
     d椋湖 星巖真逸

 

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巻菱湖菊地五山頼三樹三郎亀田鵬斎

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